コーラ戦争考察まとめ。勝者は○○!!
シュワワちわ!コバハルです!
この記事は
- コーラの雑学が知りたい人。
向けの記事になります。
コーラと言えば皆さんはコカ・コーラとペプシコーラを思い浮かべる人が多いとは思います。
そんなコーラ界の二大巨頭は過去に色々な論争を繰り広げています。
そのコーラ戦争の考察をしたいと思います。
コーラ戦争考察まとめ
この画像の悪意は凄いですね。ちなみに味はペプシの方が好きって人が多いですが売り上げはブランド力で勝るコカ・コーラが勝っています。
ちなみに私はコカ・コーラ派ですがペプシも好きです。笑
コーラ戦争
コーラ戦争(コーラせんそう、英:Cola wars)とは、清涼飲料製造業者であるザ コカ・コーラ カンパニーとペプシコの間の、お互いを標的とした1980年代から1990年代のテレビCMおよび販売宣伝の比較広告活動である。
コカ・コーラとペプシコーラのアメリカ2大コーラ会社はコーラを中心に同じような清涼飲料水のラインナップをそろえ、世界各地で激しいマーケティング競争を繰り広げた。特に1980年代には競争は激しさを増し、ペプシのシェアがコカ・コーラを抜く事態となり、コカ・コーラは新たな商品開発に追われるなど苦戦を続けた。
各国ローカルの飲料会社が独自のコーラを発売し、アメリカの2大コーラ会社に対してナショナリズムに満ちたコーラ戦争を行う例もある。イギリスのヴァージン・コーラのように世界的に展開し2大コーラ会社に挑む例も見られる。
コーラ戦争が過熱した例として、ニュー・コーク販売後に昔の「クラシック」コークに戻す計画を宣言した、1985年7月11日の戦略的撤退がある。
ペプシは有名人がコークよりもペプシを選ぶという、ペプシ支持のポジショニング手法「The Choice of a New Generation(新世代の選択)」宣伝を多く用いた。1975年に、ペプシはペプシチャレンジと呼ばれる、どちらが美味しいかの目隠し飲み比べを開始し、ペプシの販売を促進する街の声を拡大させた。
1990年代後半に、ペプシは長期間の継続的コーラ戦争戦略、ペプシスタッフを開始した。「Drink Pepsi, Get Stuff(ペプシを飲んで商品を貰おう)」の宣伝で、消費者は膨大な数のビン、缶やカップに付いているペプシポイントを集めた。ポイントはペプシの生活用品に交換できる。この手法は消費者の共感を得られるよう2年間の調査と試験販売を経て開始され、ペプシスタッフは即時に成功をおさめた。数千万人の消費者が参加した。
ペプシは、コークの地元で開催され、コークが主要スポンサーだった1996年アトランタオリンピックの期間に、コークの販売を上回った。成功を受けて、この手法はマウンテンデューにも適用され、ペプシの世界市場に拡大した。この手法は、毎年新しい景品を投入しつつ何年も継続した。
ペプシスタッフの宣伝は訴訟の対象となった。多くの広告の中に、ペプシはハリアーのコクピットにいる若者の姿にテロップで「ハリアー:7百万ペプシポイント」と示した。ペプシスタッフの注文額を満たすために追加ペプシポイントを購入する仕組みがあった。ワシントン州シアトルのジョン・レオナルドは、ペプシスタッフに最大ポイントの要求と70万ドルの小切手を送り必要な追加ポイントを注文した。
ペプシはこの要求を受け入れず、レオナルドは訴訟を起こした。判決は、広告を見た合理的な人間は実際にはペプシはハリアーを提供はしないと判断するだろうというものであった。ペプシは訴訟に応じてハリアーのコマーシャルの下に「ただの冗談」の文字を加え、「価格」を7億ペプシポイントに変更した。
コカコーラとペプシは、2005年にペプシスタッフが再開し「Coke Rewards」が応じるという「サイバー戦争」に至った。このコーラ戦争は、ペプシスタッフがサービスを終了し、Coke Rewardsがウェブサイトで商品提供を続けるという結果で終結している。両者ともにボトルキャップと12本または24本入り箱の蓋を集め、特定ポイント数のオンラインコードを入力すると、賞品や商品を消費者が貰えるというロイヤリティ手法である。
ペプシのオンライン提携先のAmazonでは、「ペプシポイント」でmp3ダウンロードのような様々な商品購入ができた。コカコーラとペプシの両者ともにiTunes Storeと提携していた。
コーラ自体の歴史はコカ・コーラの方が古く一番最初のコーラはコカ・コーラが発売しています。
戦争と言っても暴動が起きたとかではなく、広告競争等が起こったりどっちが美味しいか比較動画を流したりとした戦争でした。
ぶっちゃけどっちも美味しいから仲良くやればいいのに。
まぁどっちかに人気が大きく傾けば企業や商品の存続危機になるからどっちも必死なんだよ。
第二のコーラ戦争
1990年代に「第二のコーラ戦争」がイギリスで報告された。多くのストアブランドコーラと異なり、Sainsbury Classic Colaと同様に、製品競争力があるようデザインされたヴァージン・コーラの発売開始に伴うものである。
数年間に渡り、これらのコーラはコカ・コーラやペプシと競争した。コカ・コーラは、Classic Cola缶のデザインがコークと酷似していると主張してSainsburyを訴えた。しかしながら、現在はヴァージンとClassic Colaは2大ブランドに遠く及ばない。
大量広報マーケッティング戦略が1990年代に続けられた。1997年には、スパイス・ガールズが(ブームの直後に)ペプシと数百ポンドのスポンサー契約を結んだ。3作のペプシCMに出演し、ペプシと2つの限定盤シングル「Move Over」と「Step Me」を発売した。これらはペプシのパッケージで宣伝され、ペプシ主催・後援のコンサートがインスタンブールで2度開催された。
日本でのコーラ戦争
日本では、1956年にペプシコーラが参入、翌1957年にコカ・コーラが参入し、コーラ戦争が開始された。1965年に缶入りコーラを先行させたコカコーラが圧倒的なトップシェアを長く占めていた(缶入りペプシコーラの発売は1967年)。
コカコーラは1980年頃のヨーヨーブームでも成功し、同社の各種商品名ロゴ入りヨーヨーが流行した。
しかし、1987年にペプシコーラがマイケル・ジャクソンの来日コンサートに協賛、1991年にM.C.ハマーをCMに起用するなどして健闘。1996年のペプシマンを使った一連のキャンペーンに成功し、認知度を高めた。
また、1998年のペプシマンボトルキャップに端を発した、両社のグッズキャンペーンは食玩コレクターに広く受け入れられたが2005年に公正取引委員会から注意を受け、ボトルキャップの中身が見えるように変更された。
1997年よりペプシコーラの販売権を清涼飲料水業界第2位のサントリーが取得。コカ・コーラ販売権を持つ業界1位の日本コカ・コーラを追撃する体制を整えた。
実はペプシコーラはサントリーから発売されています。
あんまり知っている人いないのではないのでしょうか。
日本でコーラ戦争が激化しているって感じはあまり感じませんね。
コーラ戦争の現在
ペプシコーラとコカ・コーラは現在でも戦争を続けています。
戦争というよりは競争って感じですね。
ペプシコーラはコカ・コーラと言う対抗馬がいるのでペプシのチャレンジャー戦略が成立しています。
ペプシコーラは徹底的にコカ・コーラに挑戦していくっていうスタイルで、自身の存在感を上げるマーケティングを行っています。
つまりはコカ・コーラが無ければペプシコーラの戦略は成立しないのです。
コカ・コーラは市場の拡大を目指しています。
実はペプシコーラのマーケティングも世間に話題を提供し、コーラ飲料自体の注目度をアップさせ、市場の拡大に寄与しています。
コカ・コーラとペプシコーラはお互いに競争することでお互いの生きる市場の活性化をしているのです。
ルパンと銭形、アンパンマンとばいきんまん、悟空とベジータみたいな関係だね。
単純に言うとライバルだね。
まとめ
いかがでしたか?
今回はコーラ戦争考察まとめについて記事にしてみました。
この戦争の勝者の結論はコカ・コーラ、ペプシコーラどっちも勝者です。
理由はコカ・コーラがいないとペプシの経営戦略は成り立たず、ペプシコーラがいないと市場の活性化が見込めずコカ・コーラも衰退する可能性が大きいからです。
ライバル関係で競合、競争することで市場を活性化させているので素晴らしい関係だと思います。
今日はここまで!以上!